ワールドカップが終わってもう2ヶ月。
決勝で起きたあの事件のことは、全世界中の人間が忘れてはならないことだ。
さて、イタリアの「言葉を発したほう」。マテラッツィが、あの日に起きた事について発言内容を明かしたという。
それによると、
ジダンのマークのためにユニフォームを引っ張っていたマテラッツィに対して、
ジ「そんなにユニフォームが欲しいならあとでやるよ」マ「いらないよ。だったらあんたの姉妹のほうがいいさ」→頭突き。
だという。
あの日、俺は
こんな文を書いた。
『ジダンの行為は許されない。でも、マテラッツィがもしも人種差別発言をしていたら許されてはならない』と。
さて、マテラッツィの発言が真実なのかそうではないのか・・・。
おそらくはそこに注目が集まるだろう。
真実→ジダンが100%悪い
嘘→やっぱりマテラッツィも悪い
という方式で片付けられてしまいそうなこの件。
既に両選手、FIFAから処分が下されている。
「だから終わりにしよう」という事を目論んでのマテラッツィの発言だろう。
でも、片付けては成らない。
そういう目でみていた自分もよくない。
『サッカーの現場から挑発という行為が無くなればそれでいいのだが、そんな事はまず起こり得ない。選手たちは戦っているのだ。国の威信をかけて。
そんな中でユニフォームも引っ張らずにマークについたり、「やめろよ」という言葉が飛ばない試合の方がおかしい。必死なのだ。』
この意見もわかる。でもね。それでも思うのだ。
「モラル」の部分で、選手たちが今回の件を頭に置き、必要以上の挑発やボールとは無関係な場所での馬鹿し合いがなくなればいいな、と。
サッカー選手という職業。世界中の子供たちから憧憬の視線で見られる彼らは、人間として尊敬されるべきなのだから。
もちろんサッカー選手だけに限らないけどね。