殆ど欠かさず見てしまった。
小説も、映画も見ていない俺にとっては正直面白かった。
成宮寛貴の演技、映像の綺麗さ、脇役の充実振りなど、なかなかのものだったと思う。
最終回で、「そういう話だったんだぁ。」と、ストーリーに驚いた。
きっと、俺と同じ様にテレビドラマでこの話を始めて知ったという人は、のめりこめたんじゃないだろうか。
さて、「世界の中心で、愛を叫ぶ」の作者と一緒だと言う事だが、正直、俺はこっちは否定的。
まあ、セカチュ―は小説だけしか読んでないし、(あ、もういいやと思ってしまった)「今、・・・」はドラマしか見ていないから安易な比較を論ずるのは止める。
セカチューに嫌気がさしたのは、「死」を安易にテーマに盛り込むと言う事への疑問。
ストーリーに「死」という、「これ以上ないほどの不幸」を盛り込むことによって、ダイナミズムには膨大なエネルギーが生まれ、登場人物の感情にもエネルギーが生まれ、進行しやすくなる。
一概に言えない事は承知の上だが、「愛する人間の死を体験した人間の再生の物語」と言うのは、一般的に誰もが陥りやすいプロットである。
多くの人が現実に「体験したくない」ストーリーだからこそ、フィクションの世界の中で安心して感情移入出来るのだ。
俺はラジオドラマの脚本を現在でも趣味程度に書いているが、ノンフィクションの「愛する人間の死を体験した人」の手記を読んだ経験から、「人の死」を安易にストーリーにするのは意識的にやめている。
何をどのように書いても冒涜にしか思えないのだ。
だって、作り話なんだもん。
セカチューが本当の話なのならわかる。
そういう意味で、「今、会いにいきます」が、タイムトラベル的な話だったということが今日わかり、安心した。本当のテーマがそこにない事はわかるが、こういうことなら許せる気がする。
以上、何様ブログ炸裂でした。
イマアイは市川拓司。
セカチューは片山恭一。
よ。
やってしまいましたぁ!!!
んじゃ、そういうことでよろしく。